高台にある家

水村美苗の母、水村節子が自身と母について書いた自伝『高台にある家』読了。
島根の市長と芸者との間の私生児として生まれた母は、神戸元町にある置屋「花菱」に養女としてもらわれ、芸妓になるべく育てられ、芸者「翠扇」となる。伊藤博文と神戸イリス商会の大番頭が水揚げを争うような美技となった翠扇はイリス商会の大番頭田中金作との間に二人の子供を生む。子供は花菱の実子として入籍され、田中家に大金と引き換えに養子としてだされる。花菱を経営する夫婦には息子がいたが、幼いときに脳膜炎をわずらい長じても知的障害が残っていた。田中金作との間に二人の子をなした翠扇は、次はこの花菱の息子と結婚させられ、二人の息子を生む。二人の息子は神戸1中、関西学院中等部へと進学。関西学院に進学した弟の家庭教師として同じ関西学院に通う先輩小松がやってくる。17−18歳。芸者を続けていた翠扇は、ふとしたことから息子の家庭教師と関係を持ってしまい、花菱を出る。翠扇は40代はじめ、息子の家庭教師である小松は17-18歳。その歳の差は24歳。小松はその後、神戸商専を優秀な成績で卒業、翠扇との間に生まれた娘 節子を認知、結婚はしないものの、小松、翠扇、庶子である節子の三人の生活が始める。
と、まぁ、ここまで書くだけで辟易としてくる。


◆父と母の元で育った節子は、やがて自身の環境に疑問を持ち始める。なぜ父母の年齢が離れているのか、なぜ母方には、関係性がはっきりしない”親戚”が多く、叔父・叔母たちはなぜ自分を”妹”というのか、なぜ母方の知り合いは富豪、芸人、商家など多様であるが、皆、共通して教養も知性も品もなく、だらしない生き方をしているのか云々。節子があこがれを持ってみていたのが父方の姉の嫁ぎ先である”高台にある家”。横浜にあり、伯母の夫は海軍一家で本人も海運会社に勤務している。一人息子はピアノを弾き、日曜日には教会の日曜学校に通っている。家は書籍や叔父の海外土産である珍しいものが置かれ、若い女中たちが伯母の差配の元、忙しく働いている。


◆節子は長じるにしたがって自分の置かれている境遇を知り、無教養で品がない母を憎み、やがて水商売の女と所帯を持つ父を憎む。進学したミッション系女学校で身を立てるために勉学にいそしむでもなく、「お嫁に行く」までの期間を過ごす。女学校を卒業し、父が女と暮す同じ長屋の一軒置いて隣に母と住む生活に息苦しさを感じ、”自分が本来置かれるべき環境”と幼い頃から感じていた横浜の伯母宅”高台にある家”に行儀見習いと称して住み込むこ」とになる。節子にとって母親からも生まれからも開放され、ようやく明るい日々がくるが、やがて伯母宅の長男の結婚にあわせて、そのままその家に住むこともならず、教会のコーラス活動で知り合った勤め人の男性と結婚する。やがて戦争が始まり、終わる。暮らしてみると夫はただ善良で、ただ退屈な人であった。娘の家にいついている母と口論をした際に夫が口にした母への非難を聞き、節子は自分が疎ましいと感じている母だからこそ夫には非難して欲しくなかったと感じ、離婚をし、年老いた醜く・品のない母とともに生きていこうと決心して本書は終わる。


◆『高台にある家』と『私小説』との間で、節子はミッションスクールで身に着けた英語を生かして立川基地で勤務し、そこで知り合ったレンズメーカーに勤務する男と再婚し、そして生まれたのが奈苗と早苗。彼女たちがピアノを習いに行く横浜の家は、この「高台にある家」だ。


◆『本格小説』『私小説』『高台にある家』。これは3冊セットで読んで初めて、つながる話だと思う。私小説を読んだ時に、美苗の母親に対して、知性・教養は無論、精神性が皆無で、卑しさを感じていた。一方で生きることにひたすら強欲な強さも感じていた。『高台・・』を読んで、その思いはますます深まった。「高台・・」が象徴するものは、まっとうな世界の住人であり、しかもその中でのステイタスであり豊かさ、富。それらの象徴がピアノや海外のお土産、書籍なのだろう。それは、節子にとって入りたくとも入れない世界だ。こう考えるとやはりこの3冊は同じ話を形を変えて語っているように思う。
この話は、また今度


高台にある家

高台にある家