読んだぞ万城目

◆今日は娘の友達3人が家に遊びに来たので、私は別の部屋に退避して読書三昧。話題の「鹿男あをによし」「鴨川ホルモー」を読了。万城目はなかなかの才筆。


◆「鹿男あをによし
東京の大学の研究室に勤務する主人公が助手ともめて、生まれて初めて箱根の山を越えて奈良の女子高で臨時教員になるという「坊ちゃん」話。
鹿は話すは、なまずはでるは、狐も鼠も出てくるはで、なかなかに愛らしいお話で、これは童話ですね(ラストシーンも童話にふさわしい)。話題の剣道シーンも、私は高校時代に剣道部に所属していたけど、道団体戦のシーンでは技や試合運びよりもむしろディテールに懐かしさを覚えた。「面をかぶる時の圧迫感」や、「場外に突き飛ばされた時のムカツキ」勝ち抜き戦で味方の選手が負けたとたんに次の選手が竹刀を手に立ちあがり、次の次にでる主人公が面をつけ始める(つまり、出の準備を始める)タイミングとか、そういう細かな描写がよくできている。万城目も剣道部だったんだろうなぁ。

鹿男あをによし

鹿男あをによし

◆続いて「鴨川ホルモー
いやぁ、面白い、面白い。何度も噴いた、何度も爆笑した。「なんてお馬鹿な、なんて阿呆なんでしょ、大学生って」と思いつつ一気に読了。
で、万城目、「万城目はまだモリミーと同格ではない」と書かれているが、格の差の問題ではなく、モリミーと万城目とでは作家としての質が異なるのではないだろうか。同じように京都を舞台にした大学生のお馬鹿話作品があるとはいえ、モリミーは「イチビリ」、マキメーは「お馬鹿系」。イチビリは自身の内部にイチビッてしまう理由があるのだけど、お馬鹿はただただ愛らしくお馬鹿なのではないかと思う。森見の「有頂天家族」を読んだ万城目が「京都はもう焼け野原。何も書くことは残っていない」といったという話があるけれど、そもそも万城目は小説で何を書きたいのだろう。彼にとって書く必然性は何なのだろう?と思う。才筆はあるのは確かだけれど、そこが私には見えない。


◆とはいえ、イチビリはドラマにはしにくいけど、「お馬鹿さん」は万人に愛されるからドラマにも映画にもしやすそう。マキメーはモリミーよりも稼いじゃうかもしれませんねぇ