September,11 

あの日、仕事から帰ろうと家に電話をすると
「ワートレに飛行機が突入したらしい。事故なのか故意なのかわからない」
と夫が不明そうな声で話した。
当時、私は頻繁にアメリカ国内を出張しており
米国内の飛行機のトラブルや事故の多さには慣れていたこともあり
さほど気にも留めずに電車に乗った。

自宅の最寄駅について、ふと気になり、再度家に電話をする
「よくわからないけど、本当に飛行機が刺さるように追突してるよ。
あ、二機目の飛行機がぶつかった。これは故意だよ」
その声に、走るように家に帰る。

家に帰る10分ほどの道すがら、
自分がこれからしなければならないことをリストアップする
経営陣への連絡、
米国オフィスの従業員の安全確保、
日米オフィス間の連絡網確保
電話はつながるのか、これから被害は広がるのか
いったい何がおきたのか・・・

当時、私はアメリカ(ニューヨーク、ニュージャージー、SF)に
オフィスを持つ日本企業に勤務しており
日本と米国両方を兼務し、事業責任者の役にあった

従ってニューヨークオフィスにいるのは自分のメンバーであり
同僚であり、また斜め上の上司たちになる
さらに、私の上には米国法人の経営者がいるわけだが、
ちょうど彼が日本出張中でもあり
ニューヨークオフィスにはアメリカ人オフィサーが残っており
彼が現場指揮を執らねばならない状況にあった

また、日本本社側も当然のこととして
状況を把握しようとするだろうが
米国法人社長もしくは私に情報を求めてくることは明白だった

家に着くなりNHKをみる。
繰り返し、飛行機の突入シーンを放映している。
まず、日本滞在中のトップに連絡、状況把握の有無を確認。
彼は、事故がおきたこと自体も、つい今知った様子で、
状況把握はできていないとのこと。
体調も悪く、何もできないので代わりに動くように指示がでる。

想定していたことだったので、
直ぐにNY・NJオフィスの従業員の携帯にかけるが通じない
神戸の震災の時に、
電話ではなくネットが通じていたことを思いだし、
私の携帯に連絡をするように、従業員にメールを送る。
日本本社 社長室から確認の電話が入る
全員の安全を確認した後に報告を送るように指示がでる

オフィサーたちに送ったメール、
マネージャーたちに送ったメールに返信が入る
と同時に向こうからの電話が入る。
ミッドタウンにあるオフィスは異常なし。
しかし電話回線が不安定であること、
また交通網の乱れもでていることなどから
全員帰宅するようにとの指示をだしたという。
また彼らもメンバーの安否確認をしており、
出社途中のスタッフの動向も間もなくつかめそうだとのこと
日本本社社長室に報告メールを打つ。

ホッとしながらテレビに目を向けると、
ワールドトレードセンターが、まさに崩壊していくところだった

1985年から86年にかけて、私たち夫婦はニューヨークに住んでいた
その当時、ワールドトレードセンターは週末に良く行く場所であり、
日本から知人が来れば展望台に連れて行ったりもした。

85年のニューヨーク生活は、私自身にとって
その後の生活を大きく変えるきっかけとなった経験であり
ワールドトレードセンターも、思い出深い場所の1つだった

その建物が崩壊していく様子を見ることになるなんて、
思いもよらなかった
ひどい・・・知らないうちに涙が流れていた